永遠なんてここにはないけれど

ジャニヲタ生まれバンギャル育ち、出戻りジャニヲタが細々と生息中。

KAT-TUN沼に落ちたきっかけ

ジャニヲタたるものはてなブログを書いてなんぼみたいな風潮を個人的に感じたので開設してみました。ブログなんてもの何年ぶりに書くのかもう分からないレベル。

まずはじめに私がKAT-TUN沼に足を踏み入れたきっかけを書き記そうと思う。

 

 

金八先生第五シリーズをリアルタイムで見ていてじわじわと時間差で亀梨君を応援するように。初恋の先輩に少し似た亀梨君を雑誌で見つけ、この人金八先生に出てる人なんだー!と。それからしばらくしてKAT-TUNが結成され毎週NHKのPOPJAMで光一くんのバックダンスをするKAT-TUNを楽しみに日々を過ごしていたように思う。

KAT-TUNが歌番組でKinkiや嵐のバックについて踊っていた頃も本当に大好きで、VHSが擦り切れるほど繰り返し見て「亀ちゃん♡亀ちゃん♡」とはしゃぐ重度の亀ヲタでした。

 

KAT-TUNがKinkiのバックから外れたあたりなのか?その頃になんとなく(多感な時期でしたので)ジャニーズから疎遠になり、人にやさしくというドラマから松岡充SOPHIA堂本兄弟からGACKTへと興味の対象が移り、後にL'Arc~en~Cielに腰を据えあれよあれよという間にヴィジュアル系の沼にどっっぷりと浸かりキャリーバックを片手に全国のライブハウスを駆けずり回るバンギャルへとメタモルフォーゼしました。

 

そして2015年、9月に8年追いかけていた本命バンドが解散しました。もうヲタクには戻らない。これからは私は私の為にお金を掛けるんだ!とパンピ(ここでいう非ヲタクのこと)になるんだ!と思っていました。

 

しかし長年見向きもしなかったくせに妖怪人間ベムの亀梨君のビジュアルを見て「っか~!やっぱり化粧している綺麗な男は最高やな!」と思っていたり、どちゃクソ性癖な目隠しで銃を組み立てるCMを見て、「亀梨と伊勢谷友介?最高じゃねぇか!」とジョカゲを映画館で見ていたり(見終わってすぐデドオアのCDを買った)、夏には先輩に「亀梨君今舞台やってるんだけど行く~?」とお誘い頂き、秒で「行きます!」と[青い種子は太陽の中にある]の舞台を見に行っていたり(バンギャルのフットワークの軽さを舐めるな)伏線はバッチリ張られていたため、ある意味本命バンドという枷が外れたのを期にあれよあれよとジョカゲのブルーレイBOXを買い、女王コンのライブDVDを見せられ、「やばい…KAT-TUNほどんどヴィジュアル系じゃん…!曲めちゃくちゃアガる!柵をくれ!ここはライブハウス!!!」と感想をtwitterで喚いていると先住のバンギャルジャニヲタ掛け持ちのTwitterの民達に一斉に包囲され亀梨かわいい画像爆弾が大量に投げ込まれ窒息、その足でクオーターのライブDVDを予約していたのである。

本命のバンド解散から実に2~3週間でKAT-TUNのFCへお布施を入れたのである。見事伏線回収である。

 

このように実にじわじわと沼入りを果たした為、巷で言う『〇〇出のかつん担』みたいなものがあまり当てはまらない。言うなれば出戻りの亀梨担である。

しかし、出戻りと言うにはあまりにもKAT-TUNは歴史が深く、私はデビュー曲のリアフェすら知らなかった。そう、デビュー後の彼らをことごとく知らなかったのだ。

唯一知っていたのが『cartoon KAT-TUN II You』に収録されていた『LOVE or LIKE』『HEARTBREAK CLUB』くらいだった。懐かしすぎて泣いた。知ってる曲がある!と泣いた。Mステの映像が蘇ってきて泣いた。

だから未だに新規なのかなんなのか自分でも分からない。別に何でもいいんだれども。

 

 

今思えば周りより幾分か早くジャニーズを通ってきた為、思春期にジャニーズにハマるクラスメイトを尻目に「いや、今更ジャニーズとかダサいっしょ」などと思っていたし、そこからビジュアル系にハマるのも今考えると思考がめちゃくちゃ自分KAT-TUNだったなと思う。(めっちゃ尖っていた)

過去にハマったものは何故か嫌いになる傾向もあったのでKAT-TUNがデビューした頃もめちゃくちゃ避けていたように思う。(だからこそReal Faceすら知らなかった)

 

 

しかし蓋を開けてみたらまあなんと曲が聴きやすいったらなかった。

10年以上ビジュアル系のロックに浸かり、すっかりJ-POPを苦手に思ってしまう私が聴きやすいと感じたのだ。びっくりした。ジャニーズなのに??

歌が上手い、ハモリ、美メロ、激しいバンドサウンド。

作曲にB'zの松本さん、氷室京介さんがついている曲もあった。なるほど流石ヒムロック

 

「青い種子は太陽の中にある」を観劇した帰り道、安心と実績の元バンギャル、現ジャニヲタの先輩からこれ聴いてと差し出されたイヤフォンから流れてきたのがQUEEN OF PIRATESのアルバムだった。

本当にびっくりした。地下のライブハウスかと思った。熱狂と興奮のサウンドだった。

愛のコマンドを聴いた時の興奮は今でも忘れない。柵を…柵を下さい…!とうわ言のように呟いた。(スタンディングでバンギャルに柵を与えると無敵になる)

 

女王コンのDVDを見た時はもうお手上げだった完敗だったハマるしかなかった。

 

 

そこから空白の時間を埋めるようにCDやDVD過去のものを集めまくった。情報が多い。何しろ10年以上ある。まぁこの辺がヲタク所以のそれであるが睡眠時間を削った。楽しかった。いわゆる新規ハイだった。

規模の小さなバンドを追いかけている時と違い、『私と本命バンドマン』の関係性にならない『匿名の何万人の中の一人である自分と自担』という関係性(※個人の感想です)が気楽でそこには義務はなく、なんて楽しい沼なんだ!ゆるく茶の間でいることも、現場に行くことも選べる。自分で楽しみ方が選択できる!たのしい!!と思った。バンドは地上波のTVに映ることもほとんどなければ、雑誌に載るのも限られていて基本的に現場が全てだったからだ。

ジャニーズ事務所という大きな組織に所属している安心感は大きく、このままゆる~くKAT-TUNを楽しむつもりだった。

 

ベスア、赤コート事変である。

 

11月24日FCに入って1ヶ月程の出来事だった。

何かといろんな事が起こりやすいバンドと比べてジャニーズは安泰だと思っていた矢先の出来事で、秋に解散を見守り、春には脱退を見送らなければならないのか、と自分は貧乏神かなにかなのかと震えた。

その頃はまだバンギャルの感覚が消えていなかったので、脱退コンサートで見送るものだと思っていたのだけれども、ジャニーズって脱退を宣言したらもうコンサートには出ないんですね!?と文化の違いを感じてびっくりした。

お別れを、ありがとうを伝えたかった。クオーターのライブDVDを見て4人のKAT-TUNに本格落ちした私はもう4人の舞台を見ることは終ぞできないのだとまた落ち込んだ。

バンドと違い現場に行かずともゆっくり茶の間で、と思った矢先茶の間で脱退が発表された。ジャニーズってすごいなぁと思った(小並感)

 

だから私のKAT-TUN初ライブは10ks!である。4人見たかったなぁと、とても悔しかった。でもそこは時間が解決してくれた。

この充電期間中に田口、聖、赤西といういわゆる脱退していったメンバーみんなのライブに行った。みんなそれぞれ素晴らしくてやっぱりKAT-TUNはすごいと思った。

そう言う意味でもこの充電期間はすごく意味のあるものだったと思う。

今では本当にみんなのことを応援している。いつかKAT-TUNはジャニーズ内部から、脱退組は外部から世界征服してくれないかなぁとも思っている。一体何を言っているんだ。

13年ほどの時を越えて再会したKAT-TUNはあの光一君の後ろで子猫のように跳ねていたあの頃とは比べ物にならない程に強く、美しい化物になっていた。